新たな挑戦をすることにした。11年前、地域を憂いてクラブを立ち上げた。船橋中で100人を超えるサッカー部の顧問がクラブに挑戦した。私の決意を知らない方々からの嫌がらせも多かったが、佐々木・鈴木・仲村・満田をはじめとする仲間に助けられた。船橋中の教員時代、人から100万円借りて中古のマイクロバスを買おうとしたら、恩師から電話で指導を受けた。02年にジュニアを立ち上げた。教え子の母親に頭を下げて土地をお借りして事務所を建てた。05年に提携チームができた。06年にも提携チームができた。08年に、VIVAIOランドをスタートさせた。「日本で、天然芝のサッカー場を運営するという夢」が現実になるとは全く考えていなかった。同年、会社を立ち上げて教え子を雇用した。09年、浦安に提携チームができた。 セレクションでの面接がいつも心に残っている。「VIVAIOに入りたいんです」という小学6年生の真剣な表情が、頭から離れないのだ。人数制限を設けなければ、チームとしての活動が厳しい。皆に可能性があるのに、「残念ながら」というはがきを送っている。真剣に私共のクラブに入りたいと考えている選手が「残念ながら」で、多少目に留まった選手が「合格」ということもある。数時間のセレクションで、3年間強い気持ちを持って取り組むことのできる選手なのかどうかまでは分からない。1年も経たずに気持ちが途切れる選手がいることもある。毎年そのような経験をしているからこそ、違った環境を用意しなければいけないと真剣に悩んできた。 新年の1月5日より、船橋市内の屋根付き2面と屋外1面の人工芝フットサル場の運営をすることになった。VIVAIOのチームには縁の無かった選手と、「縁」をつなぐことのできる場所が用意できた。他クラブであろうと、中体連の選手であろうと「もっと個の技術にこだわり、個の判断にこだわりたい」という選手に喜んでもらうことのできる場所を真剣に用意する。今年は特に心が痛い。ドリブルの得意な選手が多々来たが「ちょっと違うのだ」。この場では表現しないが、違うのだ。ジュニア年代の癖を修正することは容易ではない。私共が真剣に環境を用意しても、20ヵ月(2年生の秋ぐらいまで)位かかる選手もいるのだ。やらねば、修正は難しい。そのような環境が欲しかった。 春には、ジュウタンのような人工芝を、2,000万円程度かけてロングパイルのゴムチップ人工芝に改修する予定でいる。お金が無いのに、更にである。私共の決意の強さを感じていただけることと思う。私共はこの場所で、様々な環境を提案したいと考えている。経営が上手くいっていなかったようで、「更地にするか」「真剣に経営する団体を探すか」という事になったらしい。私共に話が来たのは突然のことで、準備と経営のイメージを持てずに、熟慮を重ねた末決断した。それから、3週間ばかり2時頃には起きて1週間のスケジュールのシュミレーションを重ねた。どうしたら喜んでもらうことのできる施設にすることができるか、というテーマ1本に絞って夜中から皆が事務所に出勤してくるまで考え続けた。施設の経営など考えてもいなかったので、テーマ1本に絞っていろいろなことを真剣に考えると、奥が深いと考えさせられる。寝不足と、上書き保存の連続で、つい最近になって少しイメージが持てるようになってきた。 上手くいかなければ、あのような施設が更地になるというのは、本当に悲しい。地主さんと親会社と3者で契約書に印鑑を押す前に「必ず期待に応えます」とお約束をした。5年間、他社ができなかったことを素人の私共が挑戦する。粉骨砕身というのが、私の決意だ。新しい事業には人手が必要で、皆には申し訳ないが、もうしばらくの辛抱してもらわなければならない。共に活動している仲間との約束が現実にならない、じくじたる思いがある。しかしながら、皆で信じて進むしかないと思っている。 誰がいつ来ても、私共のスタッフがいる場所ができた。私が想定しているより10年ほど早い。新しい施設の名前は、VIVAIO MINI SOCCER PARK (ヴィヴァイオ ミニ サッカー パーク)と名付けた。フットサルもできるが、ミニサッカーという定義を世の中に提示しようという佐々木の意見にのった。サッカーが好きになりたい人が、子供から大人まで集まる場所にしたい。多くの皆に喜んでもらいたい一心で取り組む。三咲駅から無料送迎も検討している。私達の小さな会社は、「知的障がい者と共に社会に貢献する」ということをモットーに生きている。これから更に、私達の活動を応援してくれる個人や会社を探す努力もしたい。 経営素人の私が仲間と共に、子供達の為・地域の為・地主さんの信頼を得て長く施設を維持するために「真剣に行く」。本格的な稼働は4月になるが、1月から募集と体験をスタートさせる。縁があったらミニサッカーパークに足を運んで、私達の新しい提案を感じて欲しい。 (熱血)