中瀬古先生(奈良県の高田FC)と大会の懇親会で飲むと、「渡辺さん。ここ。ここ。」と隣に呼んでいただける。お会いしてお話をお伺いできることは年に数回しかない。奈良県のフェスティバル春・奈良のフェスティバル夏・山口県下関の大会・長崎県国見町の大会など3~4回だ。「いろいろな事を教えていただきたい。」と思っている私にとっては、近くに呼んでいただけることは本当にありがたいことだ。「どや。」と言われ「まだまだです。」から会話ははじまる。静岡で初めて高田FCを見た時、前田選手(サンフレッチェ広島)が中学3年でそこにいた。ドリブルの技術の高さに驚愕したものだ。「前に速く蹴って一人一人に考える時間があるか?考えるのに時間が必要な年代なんや。」「前に蹴ってスピードで欧米やアフリカなどの身体能力の高い選手に勝てるか?無理やろ。みんながヴェルディの森本みたいな選手なら別や。スピードだけでは到底世界に通用せえへん。日本人の特徴はなんや勤勉さや。だからこそ……。」ジュニア年代(小学生)は、6号でもお伝えしたが限界にきている。次の選択が速すぎる。速いことを悪いと言っているわけではない。多くの情報を持ち、幾つかの選択肢の中からプレーを選択していることは皆無と言って良い。そこそこやる選手を集め、システマチックに教え込めばジュニア年代の低学年では通用し高学年でもまだ通用しているチームもあるだろう。それらの選手がジュニアユース年代になると各クラブチームや中学校の部活動を選択する。千葉県内を見ても、一部の選手を除くと年齢が上がればあがるほど通用しなくなっているのが現状だ。個々の身体も大きくなり、スピードもついてくる。小学校年代で通用した自分のペースのドリブルやフェイントなど上に行けば行くほど通用しないのである。「年代が上がればあがるほど、レベルが上がればあがるほど考える時間は短くなる。」県・関東・ナショナル当然短くなっていくのである。「分かっていただけるだろうか。ジュニア年代・ジュニアユース年代に簡単に前を選択している選手は、ディフェンス能力の高い選手に次のプレーを読まれ通用しなくなることを。」「だからこそ、ジュニア・ジュニアユース年代でボールを持てること、選択肢が多いことが、将来生き抜く最低限の条件になってくる。」「渡辺さん何飲む。」「じぁ、先生と一緒で。」酒をほとんど飲まない自分が、がんがんに日本酒を注がれても話の内容が心地よく苦にならない。「世界に通用する選手。」千葉県じぁこのな話ができる指導者いないよなぁー。めぐり会えて本当に良かったと思っている。私が勉強してきたことは、チームスタッフにすぐに伝えるようにしている。チームのことだけを考えればこのような情報を外に出さない方が良いのかもしれない。しかしながら、サッカーというスポーツを将来の文化にするためには、多くの子ども達ができるだけ長く続けることのできる環境が必要になる。スポーツ人口はピラミッドで上に行けば行くほど競技人口は激減することはこれまでもお伝えしてきた。ヴィヴァイオもまだまだだが、各チームがジュニア・ジュニアユース年代で選手個々に考える時間をもっともっと与え、アイデアのあるプレーが多く出てくることを期待したい。昨今、ジュニアユース年代(中学生)では結果を求め前に蹴り込むチームが多い。中1の時と、中3の時で速さ以外ほとんど変わっていない現状に唖然とする。ユース年代(高校)に行って苦しむことが目に見えているので本当に苦しい。「スピードだけでは到底世界に通用せえへん。」と、さらっと言われるような指導者が関西・九州にはいる。最近Jリーガーになった後輩が高校2年生の時に言っていた言葉が思い出される。「ジュニアユース年代で、もっといろいろなことを教えてもらっていたら、僕はナショナルトレセンに行って恥ずかしい思いをしなくてすんだ。」私たちのチームからはまだプロに進む選手は出ていないが、ユースよりも下の年代に携わる者としてこの言葉が頭から離れることはない。今だけではなく、選手が先に行ってできるだけ困らないようにしなければならない私たちの役割は大きい。「前に速く蹴って一人一人に考える時間があるか?考えるのに時間が必要な年代なんや。」結果を求める多くの指導者様、本当に千葉県のジュニア年代から育った選手が、将来世界で活躍するのでしょうか。考える時間を持たせるということを少しでもコーチ陣の話題にしていただけたら幸いです。 (渡辺)