先日栃木県で行われた関東トレセン交流会を見学に行ってきた。本部には、関東トレセンスタッフが陣取りメンバー表とピッチ上の選手を見比べて選考(関東トレセン選考会への招集)が行われていた。選考者の1人に知人がいたため、挨拶をして本部に座らせていただき千葉県U-14対J下部組織のジュニアユースのゲームを見た。次のようなシーンで3人が声をあげた。J下部の比較的体の小さな選手が敵2人に囲まれボールをキープし、取られないよう自陣の方向にドリブルしたところ自陣側からもう1人の敵が来たため右のアウトで右のサイドバックにボールを下げた。「今の○番。」と私が小さく声をあげた。「○番なかなか良いねぇ~。」「そうですねぇ。」と2人の選考者が声をあげた。「えっ?嘘だろ。」と思ったが、3人の選考者のうち知人が1人で、2人初対面であったため、部外者である私が意見を言うのは失礼かと思いタイミングを待った。私から見たその選手は2人に囲まれ、前には仕掛けられず自陣側へのドリブルを選択したことで後方の敵との距離が1メートル半くらい空いた時に自陣側から敵が来て「決めパス」で右に下げたプレーだった。「ボールをキープするのが精一杯で、対2人を打開する意志と力がなかった。後方にドリブルした瞬間に敵との距離が空いたことを感じていない。もう1人敵が来た瞬間に、3人の相手とかけひきせず単純にボールを下げる選択肢しかなかったこと。」私は厳しい選手だと感じたから「今の○番。」と声を上げたのだった。選考基準はそんなに低いものかと感じ、プレー中のどこかで感じ方を伝えないといけないと思った。関東トレセンを選考している知人に、「さっき番号の上がった○番ですけど、ボールが入りますから見て下さいと声をかけた。」その選手は常にパスを探していた。それは、落ち着いていて視野が広いのではなく自分がボールを持てない(余裕がない)からだと言うことを3人の選考者に感じて欲しかった。「見て下さい。ボールを持てないから必ずパスをしますよ。」続けて4回のプレーを見ていただいた。4回ともボールを持ち出すことなく敵に寄せられる前に単純にパスを探していた。逃げパスでその選手が出した方向には見方がいない場面もあり、プレーには余裕がないことは明らかだった。4回のプレーで選考者の方々も感じていただけたようで、うなずく場面があり「ほっ」とした。話を前に戻すが、3人に囲まれた瞬間に敵との距離を感じていれば一気に3人をはがす(抜きさる)ことのできる瞬間があった。しかし、その選手は常に敵とかけひきをしていないためその様なシーンは生まれてこない。選考者は、3人に囲まれても失わずにキープしたと評価したのだろう。しかし基準を変えると、下を向いて相手の足元を見てプレーすることが精一杯な選手だということは、一番はじめのワンプレーでも分かる。スーパーは、誰が見ても分かるものだ。その下の選手選考は、選考者によって変わることがある。Jスタッフと中体連のスタッフが混合している状況の中、ある程度の基準を統一することは難しい。選考者は、このような流れの中でいろいろな選考者と話し合い、いろいろな観点を学ぶことが大切だと感じる。低すぎる選考基準の我流を確立しすぎないことを願いたい。10年以上前になるか、当時浦安にあったジェフの人工芝を利用させていただきU-13の県トレセンの選考を行っていた。グランドを2つに分け、片側をAグループもう一方をBグループとして、7対7のゲームを行っていた。私はセンターラインに立ち、Bグループを背にしてAグループを見ていたが、なかなか突出した選手を探すことができなかった。「今年はいない。」と後ろのBグループを振り返った時、フリーでドリブルしている選手が目の前を通った。「こいつ。こいつ」と当時のチーフであった時田氏に名前を聞いたことをハッキリと覚えている。たった3タッチぐらいのドリブルをする姿で違いを感じさせたのは現在ジェフトップで活躍している山岸である。日本サッカー協会は、トレーニングメニューを伝達講習として日本全国に浸透させようとしている。地方に行けば行くほど、伝達講習の内容で行われている地区が多い。お伝えしてきたように私共の千葉県も伝達講習と称して年に何回も「個性をそぐコピー作り」の手伝いをしている。D・C・B級という指導者の資格を取り、「オーガナイズ・バイタルエリヤ・キーファクター・プライオリティー」等新しい言葉をどんどん発し出す。そして十年前よりもある程度ボールが扱えて、ある程度リスクの少ないプレーができる個性のない選手が育つようになってきた。特にJ下部やトレセンというレベルでは、リスクを少なく単純にボールを離す、似たような選手が数年前に比べ本当に多くなってきている。夏に行われたJヴィレッジでのクラブ全国大会も多くのJ下部が集結していながら個性のある選手が本当に少ない。人工芝のアップ場では1チーム以外全てのチームが同じようなアップをしていた。全てのチームの試合を見たわけではないが、私が見た16チーム(参加の半分)の中でガンバ大阪の宇佐見君は将来どんな選手になるんだろうと期待を持った。先日兵庫県で行われた国体も見学してきた。準々決勝まで勝ち残った8チームを見たが、各都道府県から選ばれた選手たちの中で遊び心のある選手は片手くらいだっただろうか。スタンドやスタンド外で、日本全国の指導者と再会したが、「本当にこれで良いのか」という話に終始した。何故そんなにボールを持つことを怖がり前に急ぐのか?何故第1優先がパスを探しながらのプレーなのか。国体の話は次の機会にするが、U-15までの方向性が勝つことに拘りすぎての「このありさま」というのが実感だった。スタンドにはドイツワールドカップの責任を取らない日本サッカー協会のキャプテンや専務理事が視察に来ていた。この年代を生み出してきている日本のジュニア・ジュニアユースの現状をどう感じているのだろうか?私はブラジル出身の方と一緒に見ていたが、日本は平和だと憤っていた。「ワールドカップの責任を取らないトップがサッカーファンの前に良くのうのうと出てこられる。ブラジルでは絶対にあり得ない。」と言われた。日本人はマニュアルが大好きだ。オフトに学び、トルシエ、ジーコそしてオシム。日本協会は資格制度を確立し、約5万人の指導者が有資格者になっている。マニュアルの「罪」は3つある。1つはトレーニング内容や言葉、理論が先に立ち、個々の力を重視できないこと。1つは、マニュアルがあることで指導者が発展性を考えなくなること。最後の1つは、同じような選手を生み出していること。今のような方向が確立するほど、ヨーロッパのチームには組織・戦術で戦えるように見える試合が出てくるかもしれない。しかしながら、個人の力で打開することのできる南米の選手相手には、マニュアルは通用しないことが多いため、何時まで経っても差が縮まることは難しいだろう。例を2つ。一時期流行った「ターン(前を向け)、マノン(敵を背負ってる)」。日本全国で流行だった。まず、ボールの受け手が自分で周囲の状況をしっかりと把握するべきなのに、周囲が伝えることの方が重視された。協会から降りてきた言葉によって、「言葉」が先行することで、指導者の考える習慣を省いてしまう。レフリーについても同様なことが多い。4種を見ても、大会は4審で行われている。小学生のミニサッカーは2審もあるが、公式戦11人制だと多分全ての試合で4審制なのだろう。日本よりもサッカー先進国のヨーロッパではU-15年代でも1審制を採用している国も多い。1審での判断を求められるため審判のレベルも上がり、オフサイドを判断するためディフェンスの選手の能力向上にもつながるという話を聞く。長年ヨーロッパで勉強してきてJのスタッフになった方がこのようなことを言っていた。「小さな小学生の大会に必ず4人も審判がいることに驚いた。」市の大会など2審で審判をすれば、各チームもう1チーム登録して多くの選手が試合に出場する機会が増やすことができる。まず、プレーヤーズファーストとは大人がつくりだす環境でいかようにもなるという柔軟な発想がない限り、子ども達のための環境など整うわけもない。まず、マニュアルからスタートしてしまうことが次の発展を妨げているのである。マニュアルがあることでマニュアル通りに動く。マニュアルがあることで考えなくなる。マニュアルがあることで発展性が削がれる。どんどん難しい横文字用語が多くなってきた日本のサッカー界。協会からのマニュアルを鵜呑みにして携わる指導者が増殖し、コピー選手が多く生み出されないことを願っている。 (渡辺)