先日熊本で行われた西日本ナショナルトレセンの選考合宿に私共のチームの選手が招集された。現段階では、たいした選手ではないことは最初にお伝えしておきたい。チームのナイター練習の際に中1を集めた話の中で「報告だ。○○がナショトレの選考会に選ばれた。○○が選ばれるくらいだ、みんなにもチャンスがあるぞ。」と笑って話をした。関東の選考会で実際は選考されていなかったのだが、Jチームの1チームが海外遠征のため、バックアップでの召集だった。関東で選考されなかった段階で、「視点の違いに」無理があることを感じていた。関トレ選考会2日間のトレーニングやゲームのビデオを入手し見たが、「選考外」という最初の通知には、「選考基準は?」と一瞬憤ったが、自分がこれまで書いている通信の内容を思い出し、「やっぱり視点が違いすぎて無理だ」と言う事で自分を納得させた。運良く、ナショトレの選考会に参加できる連絡が来た時も、「まぁ~経験だ。普段どおりにやって来い」という程度の話だった。アカデミー女子のヘッドコーチ今泉氏からお誘いを受け3月18日にJヴィレッジに行き女子チームと2回目のトレーニングマッチを行わせていただいた。マッチ後に移動して、たまたま行われていた東日本のナショトレ合宿のトレーニングを見学し、愕然とした。日本全国を地域半分に分け、召集された大勢を分けてトレーニングをしていたが「やはりこんなもんか」と感じた。大人が我慢をして選手の持っている感性や発想を存分に出させるのではなく、大人が指導している現実が目の前にあった。「日本はやっぱり選手の可能性を削っている」JFAというヤッケに身を包んだ大人の感性よりも、今現実にプレーしている選手の感性が上回っていることの方が多い。胸にJFAという文字の刻まれた服を着ている大人が教えたことを表現していて、観衆を魅了したり、観衆の予想したプレーの上をはるかに超える表現ができるようになるかは疑問だ。バスに乗り込んでJヴィレッジを出発する前に、選手達に声をかけた。「普段言っている通りだろ。こんなことやってて上手くなるわけない。大変だなぁー○○5日間も頑張れよ。」ナショトレ西日本のビデオを入手した。自分の想像と現実の映像がこれほどまでに一致すると怖いものがある。映像に映っているのは14名の選手達。トレーニングの内容はどの選手も同じタイミングでプレーさせるスタイル。「やっちゃってるなぁ~。」と苦笑い。ボールを長く持つと注意を受けている。選手の個性など分かろうはずもない。しまいには「簡単にやれ」と怒り出す始末。特にうちの ○○は一番怒られている様子。表情をアップした映像を見るとみんな楽しそうじゃない。タッチ数を少なくパススピードとタイミングを要求している。いつも同じ場所にボールを入れダイレクトのシュートのトレーニングが映っている。ディフェンスが寄せていてもダイレクト。映像を見ている限り、どの選手がボールを持つことができ、感性豊かな選手か分からない。「パススピード、マーカーの位置にパスを出せ」という要求。ナショトレで本当にこんなことやっちゃってるんだ。怒られ続けた○○には申し訳ないが、現実を確認することができたことは大きい。サッカーについて私ごときが語れないが、たしか90分ゲームだったような気もするし、延長は更にプラス30分。今回のワールドカップで明確になったことの一つに、個人がボールを保持できなければ世界に通用しないことが分かったはずだが、相変わらずボールを速く離すトレーニングが主流だ。ナショトレの選考会に集まってきた選手達に自分自身の感性を強要するコーチングと、「そんなプレーはやめろ」と言ってしまうコーチ。個々がボールを持てるかに着目しないトレーニング内容には日本のサッカーが世界に追いつくことのできない現実と個性を削りコピー選手を生み出す現状を垣間見た。帰ってきた○○にどうだった?と問うと、「つまらなかったです。ただ、多くの友達ができ、グッズが貰えたことくらいですか良かったのは。」との答え。経験は何事にも変えがたい。ナショトレの環境が大したことのない環境だということを本人及びチームが感じられたことは大きい。わざわざ協会がほとんど全ての費用を出して、日本全国から2箇所に召集し5日間のトレーニングを行って、生き生きとした目で地元に返すことのできないソフト面は如何なものか。いつも中辛ぐらいの通信だが、たまには辛口にもご勘弁いただこう。先人からの検証はとても重要だ。その年代その年代で良い選手を集め代表を選考しているが、例えばマリノスの「乾」のことをいつからみんなが知ったのだろう。当時U-13・14のナショトレにいたか?当時ナショトレにいたら、「乾!ボールを持ちすぎるな」と言われていたことだろう。セゾンの岩谷さんでなかったらあんな選手にはなっていない。ちょっとボールの持てるパスの多い選手で今ほど注目されてはいないだろう。ナショトレのスタッフの方々がどれだけ素晴らしい方々か存じあげないが、可能性を奪うことだけはやめて欲しい。決められたトレーニングを行い選手選考をすることが何よりの目標ではなく、召集された選手達がまたナショトレに声をかけられるような選手になりたいと思う合宿であることの方が更なる成長を助長させるのではないか。映像を見ると他の選手と違う表現を随所に見せ、注意を受けている。「気にしているか?」「大丈夫です」の答え。「今の年代で単純なことを選択したら将来はない。選考からもれる事は間違いないが、ユース年代で誰からも認められる選手になることのほうがよっぽど良い。」と伝えた。より速く、より強く、より単純にプレーしてきた多くの選手達のほとんどは消えていく。ユース年代よりも上の環境では、似たような選手は入れ替わられる可能性が高い。だからこそ、同じようなコピー選手は長く生きていくことが難しくなる。勝利のため簡単に単純にボールを離す経験を、大人の考えで小さい頃から長期間プレーしている選手は、日本全国に山ほどいる。それはそれは数え切れない選手の数。その山ほどいる中で、プロになったとしても後から後から同じことのできる選手は山ほど出てくる。外人も入って来る。更なる強烈な武器や、他と違う強烈な武器が無ければ、長く生き残れるはずなどない。大人が個性や可能性を削っている現状は大きいし広いし深い。その年代その年代、スタッフの入れ替わり、勝敗、変えられない価値観など様々な原因が考えられる。千葉県もその方向だが、今小中学生を抱えている保護者に分かるはずもない。多くの場面で速さ強さで勝負していては消えていくことなど分かるはずもないから、勘違いしないようにずっーと警告している。自分の息子の勝敗に一喜一憂する掲示板等への書き込みも、3~5年もすれば書き込む気にもならなくなる。優勝・県トレ・関トレ・ナショトレだからどうした。西日本ナショトレが、私達の関西遠征中の出来事だったこともあり、関西トレセンスタッフに相談すると「渡辺さん、毎年そんなもんや。気にすることあらへん。」と言葉をいただいた。知らないことは恐ろしい。この経験もまたチームの財産にしよう。 (渡辺)