夏の終わりに、幕張にある高校に千葉県トレセンU-14が胸を借りた。2学年の差があるゲームでも、普段の○○を見ることができる。しかし、まずい。5か月でこの程度かと思うと本当に厳しいと言わざるを得ない。「これでも良くなった」と言い訳をするなら、言ってやろう「じぁ無理だ」と。出来ないことを選手のせいにするな。出来るようにしていないのは大人のせいだ。本当に厳しいのは大人側だという事をもっと自戒するべき。この場で何度も警告している。BチームやCチームを見れば、その集団の普段が分かる。Aチームが多少の結果を残すなど当たり前の事。監督は自慢の同級生だ。自慢の同級生だから苦言を言う。全ての責任は組織の長である監督にある。珍しく本音を言わしてもらおう。「何も感じない」「30分3本、何一つワクワクしない」。間もなく人事が動く、この程度ではどこに移動しても、中途半端な集団にしかできない。中途半端な集団にしかできない奴は、「一生懸命」ではなく「一所懸命」の精神で物事に取り組むべき。いろいろな事に首を突っ込まず、広く浅いことに手を広げず、如何にもサッカーを分かったような表現をすることなく、もう一度自分自身を見つめ直した方が良い。表面的な取り組みは、根を張らず幹とならない。結局は浅い分子しか生み出していないことに早く気が付くべきだ。どんなに言葉で言うよりも、心に刻んで欲しいので文字にしておいた。全ては、「自分は分かっている」「自分は出来る」という勘違いから始まるものだ。 数年前、中瀬古先生からお電話を頂いた。「渡辺さん千葉のカナリーニョの橋本君という人から電話があって、見に来たいと言うんだけどどうや、ええか?」ざっくり言うとこんな内容だった。「私ごときに聞く必要もないのに」と感じながら、「良い奴です、お願いします」と電話口で平身低頭、返事をさせて頂いた。4年前のカナリーニョカップに呼んでいただいた時、永井さん率いるカナリーニョU-13と対戦した。今の高校2年生の頃だ。今でこそ親しくさせて頂いているので本音を言うと、「普通のサッカー」をしてくるので何一つ感じることが無かった。失礼な話だが、今の永井さんだったら全く問題なく許容してくれると思い文字にしている。昨年永井さんと一緒に千葉県トレセンU-13を担当させてもらった。月に1回の短時間だったが、心地良い時間を過ごすことができた。何よりも永井さんが担当しているカナリーニョの選手達を観て、「普通じゃないサッカーをする場を提供しているのだろう」と感じたから。昨年の県トレセンU-13のアップは、ほぼ永井さんが教えているカナリーニョの選手に担当してもらった。表面的な付き合いや言葉ではなく、それがすべての敬意である。なかなか人間変わることができない。プライドが強ければなおさら。普通のサッカーから、短期間で別物に頭を切り替えるには、近くに橋本君がいたとしても永井さんの強い意志に感服している。 選んでもらえなかった時代の悩みから、一歩ずつ前に進む度に悩みが変わってくることには正直驚く。奈良の下北山で橋本君率いるカナリーニョの選手達と3泊4日を共にした。私は、彼らに会うたびに「お前ら橋本コーチの言うとおりに頑張るなよ。上手くなっちゃうからよ。」と言い、マイクロに乗って出発を待つ彼らのバスに乗り込み「橋本コーチが言っていることは間違いだから信じて努力するなよ、上手くなっちゃうからよ。」と話しかける。高田の中瀬古先生、西岡さん、法隆寺の倉内先生、福岡2002のNEOのパルティーダの……。下北山グループの皆さんには心から感謝している。「自分の基準の確認」「本気の基準の確認」全て大人の問題なのだ。大人主導でサッカーをさぞ、教えていると勘違いしていた数年前から、選手の自主性を重んじ「選手の可能性を削らないようにする」。日本全国から奈良の山奥に集まる本気の指導者の方々の言葉や動き、率いるチームの選手の姿勢を見逃さないようにしている。 橋本君のブログに「大人の問題」と書き込みがあった。その通り、大人の問題なのだ。13年目を迎えているジュニアユース。立ち上げから数年はなかなか選んでもらえないチームだった。私共よりも強いチームはたくさんあり、小6からジュニアユースに上がる時の優先順位が上のチームもたくさんあった。何故選んでもらえるチームになりつつあるのか。大人が行き詰まり、自戒して方向性の違いを見出し、表面的な真似事にならぬよう、日々を……。 強豪ユースチームで良く聞かれる言葉「使える」「使えない」。使えないのは大人のせいだという認識は微塵もないのだろう。それに気づかなければ、いつも選手を入れ替えてばかりのチームになる。それは競争ではない。恐怖なのである。失敗の許されない恐怖。選手は自由な発想で自分の力を出すことはできない。そのようなチームが多いからジュニアユース卒団までにたくさんの貯金をしておかねばならない。強烈な個性を持たせること。どのような環境にあろうとも、大人を見切らない選手にしておくことがとても大切なこととなっている。少しずつ、ユース年代の指導者と膝を交えて話をする機会が増えてきた。ジュニアユースに何度も足を運ぶチームが増えてきたことは、今後の方向性と、16歳から18歳までの育て方、18歳以上の可能性に大きな影響となっていくだろう。 別件だが、中1の時に可能性を感じた中体連で活動する選手を、総体で見たが私の想定まで成長していなかった。エースは特別扱い?細かい課題が全く変わっていない。大切にされているのだろう。選手には可能性がある。その可能性に気づけば、自分たちの用意している環境の選手ではないことは明らか。選手の将来を考えたら、私なら選手の為に違う環境を用意できないか真剣に動くだろう。先日の通信でもお伝えした仲村は、9月4日のプリンスリーグ「ジェフユース対前橋育英高校」戦に中3で出場機会を得たと耳にした。まだまだな選手に対して、「目先のチームの結果」ではなく「選手の将来の可能性の模索」を組織として考えてくれている。あるJのジュニアユースが、その選手の中学校の顧問に対して「○○君に対して、月一回でもJで経験できる環境を用意しますが」という打診をした。なんと「断った」と聞く。誰が断ったのだろう?選手自身なら何の問題もない。大人の段階で断っているとするなら、悲しすぎる。どちらか分からないので、文字としてはここまでで留めておこう。 この夏、不愉快な気持ちに何度となくなった。最近も。多少やる選手が手元にいることで「勘違いした大人」に出会うと悲しさを通り越す。何で偉そうなのだろう。話をしていると気分が悪くなる。ジュニア年代の遺産や、個人の能力で多少結果を残している事なのに何で偉そうにしているのかよく分からない。2つの団体の選手を見ても、5か月でこの程度かと感じるが、私も日本人なのだろうセゾンの岩谷さんのように本音は言えない。笑顔で挨拶をし、社交辞令の言葉を並べる自分自身に嫌気がさす。自分達がたいしたことが無いので当たり前の事なのだが。私たちは、粛々と選手で表現していこう。良い選手が集まると、偉そうにする。この世界本当に情けない。 (渡辺)