14回目のセレクションが終了した。10年以上前に小学6年生から言われた言葉がある。その言葉を今でも忘れることができない。セレクション時の面接で「一緒にやらないか?」との問いかけに、「僕は、近くのクラブに決まっていますから」との返事が返ってきた。「決まっている奴が冷やかしで来るのか?」と言葉を失ったものだ。入団するクラブが決まっているにもかかわらず、受けさせる親も親だと感じたものだ。今年は、2.5名と縁が無かった。浦安と東京。それぞれの選択した道で頑張って欲しい。話は変わるが、今年は久しぶりに伝説?となるような出来事があった。他クラブの内情を聞くと、年々変わった親が増えているらしいが、有難いことに私共には縁が無い。今回もギリギリのところで回避することができたようだ。Jのスタッフとも「危なかったですねえー。どうしようもない親が入らなくて。」という話で終了した。私共に入団する選手・保護者、J下部に合格した3名の選手・保護者、私共を選択しなかった2名の選手・保護者、全てしっかりとした対応をしていただいている。0.5名の保護者のみ、伝説?となるような対応に呆れた。選ばれるようになるということは、リスクを背負うという事。力のある選手が集まってくるという事は、それだけ期待を持った保護者が集まる可能性があるという事。水曜日のスタッフ会議で私が言う言葉、「選ばれているのは、私たちが良いからではないから勘違いしないように。」。クラブなんて一瞬で終わってしまうもの。雑多の中、心して進んでいかなければ私達も同じ道を歩むことになる。「僕は、近くのクラブに決まっていますから」、そして今回の伝説?的な親の対応を忘れない。13年前に立ち上げて、選ばれない時代が続いた。その中でも「気が付いて」選んでくれたOB・OB保護者には感謝している。他クラブの情報を集め続けて、私共と何が違うのかを真剣に考えてきたつもり。どのような運営をしていて、私共と何が違うのか。そして、3年後・5年後に他クラブがどのようになっていくのかを予想した。ジュニアユース1学年で確保する人数と卒団する時の人数。セレクションに参加している人数や方法。コーチの数や年齢、そしてコーチの移り変わり。1年次の選手個々と3年次の選手個々。それぞれのコーチの取り組んでくる指導基準。この場に全ては書かないが、選ばれるために何が必要なのかを真剣に考え続けている。勿論永遠に現在進行形である。今回のセレクションで合格を出した2名に選んでもらえなかった理由も、違った角度から情報を取り知った。来年以降に生かさねばと思っている。 「自信」は「過信」となり「慢心」を生むと、この場で何度も言ってきている。力の無い人間は油断してはいけない。結果を残していないチームが、何故周囲より選ばれるようになってきたのか。相変わらず、ネットでは結果を重視した書き込みが多いと聞く。ジュニア年代の意識でジュニアユース年代以降に大人が関わっていると、私のような選手を多く生んでしまうと何度も警告している。結局、若年層から結果だけにしがみついていると、上の年代で行き詰る選手を増やすことになることが多いと感じるのだ。1部の何位が大切なのか?2部や3部じゃ駄目なのか?中1からあずかり、個がどれだけ成長しているかを問題視することなく、ノージャッジのボカ蹴りや野洲を真似てのヒールパス?だから何?という感じ。県リーグ程度だったら、スピードが有りディフェンスラインでリスク少なくプレーさせれば、勝つこともある。しかし、高いレベルで試合をすることになるユース年代では通用しない。地方の高校で多少できることもある。しかし、更に上の大学では通用しない。先日ある六大学のサッカー関係者と話をした。千葉県出身のその選手は、大学の中でもスピードは上位。入学1年目から公式戦にも出場している。関係者が語った言葉、「ジュニアユース・ユース年代で、もっと彼に違うアプローチをする環境があったら、彼の可能性は広がっていたことだろう。」。勝利至上主義で6年間も過ごしてきたことが、大学から先の彼の可能性を狭めてしまったということ。ジュニアユース年代、「フィードバック」の無い育成は選手の可能性を広げることは難しいと感じている。そのような環境が多い中で優秀な選手が出るとしたら、「その選手個の能力」なのだと私は理解している。 以前紹介した「10年後に利く注射」は、私を含め誰もが打つことはできない。自分の価値観だけで、ネットに情報を出すことがどれだけ多くの選手の将来に影響しているか、「サッカー人」の端くれなら少し考えた方が良い。ベンチからできないことを怒鳴るコーチが山ほどいる。出来ないのはコーチの用意している普段の○○のせいである。勝っていると気分が良い。上手く行かないとイライラする。審判をしていると良く分かることがある。試合に勝っているチームの選手の目の動き、周囲の情報をどれだけとってプレーしているか。試合に勝ってはいるものの、余裕を持ってプレーしている選手が少ないことに気づく。外から見ている保護者には全く分からないこと。ボールが来る前にどれだけ情報を取り、プレー中にどれだけの選択肢を持っているのか。結局9割以上利き足しか使えず、大切な場面で選択できる角度が狭く、無理に利き足に切り返してしまう選手がどれだけ多いことか。ギリギリのところで判断を変えることができたり、相手の考えている○○○を取ることができる。そのような選手は本当に少ない。だから上で行き詰る。目先の勝利に一喜一憂する前に、個の成長がどれだけなのか、そのことを話題にすることなく結果を重視するような書き込みは、褒められたことではない。中1で新たな選手をあずかることになる。4月1日に約束をするが、その内容は語らない。中2で高校生を技術と判断で圧倒したい。サッカーの世界、年齢は関係ない。地方の力のある高校に進路を考えた時、中3で全国屈指の高校生のレギュラーメンバー(高校3年生)とのゲームに入って力を見られることがある。相手にU-17日本代表がいることもある。そのような高校生に混ざって、中3が物怖じせずに力を発揮する。それを凄いと感じたのは5年前、明治大学に進んでいる野間が野洲や青森山田に足を運んだ時、高校生のレギュラー相手に本気にさせたこと。中3が高校3年を真剣にさせたプレーを凄いと感じた当時の私の基準は、今当たり前の基準となっている。中2、中3段階でそこまで行くことのできる選手なのか?体ができる高校2年生くらいまで時間がかかる選手なのか?スピードや体格は比べ物にならないが、「技術」「判断」「イマジネーション」「遊び心」は上回ることができる。今年も高校生のレギュラー相手に物怖じしない選手が数名巣立つ。力の無い人間が、選手から新たな基準を教わる。そして新たな基準を下の学年の選手達に伝えていく。そしてまた成長した新たな選手から、新しい基準を私達大人が感じる。いつまでもチームで勝った負けたを語っとけ。私共の考えていること等、いつまでも分かるはずがない。そのような個人や集団がいてくれるから、私共のような力の無い集団が選ばれているだけのこと。 たいした選手ではないが、菅野・杉山の記事が「スポーツナビ」に出ていた。バルサのコーチを含む海外の指導者の高校サッカー選手権決勝の論評である。まず決勝のピッチに立った22名の選手の中で、菅野・杉山の個の特長を見抜いていただけて本当に感謝している。私共は、3種年代の育成に携わっている指導者として、勝った負けたを「最も重要な事」と重視しているわけではない。バルサ指導者の論評は、まさしく世界基準であり私たちが常に考えているベクトルと相反するものではなかった。個がどれだけの特徴を持っているかを見抜き、更にその個性に磨きをかける環境を用意すること。選手は勝つための駒では無く、更に上のステージで活躍できる土台を築くこと。末端で活動している私共の感想と、バルサコーチの論評の合致は、私たちの方向性に更なる自信を持たせてくれた。彼らのマイナス面を指摘されることもあるが、美味しいものを少しずつ食べさせる手法では、あのような選手は生まれてこないのである。他の選手達と違った武器を持たせるためには、食卓に並んでいる美味しそうな食べ物を少しずつ多種にわたって食べさせるのではなく、その年代に必要考える料理のみを食べさせる。あとの料理は、U-16以降で身につければ良い。美味しい料理を少しずつ食べて、ある程度の力で、ある程度出来る選手になることを選択してはいないのだ。勝負の世界、観客が大勢いるピッチで力を発揮できる選手になる為に、ジュニア・ジュニアユース年代で何を考え、どのような○○を用意するのか。何に拘らせるのか。私たち大人の基準を上げて行く必要があり、何度も言うが問題は私達大人なのである。 ハチャメチャにされた千葉県トレセンも、中1・中2は3種主体で行われるようだ。「頑張ろう」という機運が高まっているようなので、もう一度原点に立ち戻り頑張って欲しい。しかし、土足で入ってきて今までゴチャゴチャにして、今更「中1・中2は3種でやってくれ、中3と高1は国体があるから2種でやるから」とは、凄いなぁ~。そんないい加減な事ばかりしているから2種から力のある指導者が出てこないんだよ。千葉県のサッカーの方向性を気分次第で勝手に舵切ってんじゃねぇよ。本当に何とかならないのかね~。こんないい加減な舵取りをする奴らが何で千葉県を動かしているのか良く分からん。まっ、仲良しこよしで、言うことの良く聞く人間だけ集めて、決まったことを承認させる会議ばかりセッティングしてきて、二進も三進も行かなくなったら「責任をかぶらないように3種に任せるだと」、本当に日本のトップと同じように責任を取ることをしない馬鹿公務員。まず、自分でケツ拭けよ。本当手法が汚い。これまでの再三の苦言は聞き入れず、好き勝手にシステムと人材を入れてきた勢いはどうしたのだ?ツートップ。その程度のガス抜きしかできない稚拙さを改めて残念に思う。散々苦言を聞き入れなかったのに今更かという感じ。最後まで責任を取れよ、やらない理由が男として全く理解できん。本当にこの6年間は何だったのだろう。「渡辺が何故怒っているのか分からない」と人前で言っていると聞く。まず、自分のしてきた事の結果を直視して反省しろよ本当に。そんなんで義務教育ではない高校は通用するんだ!と、笑ってしまう。義務教育の中学校の大変さを分からない馬鹿公務員。中学校はそんないい加減な小手先の手法じゃ通用しないんだよ。しゃしゃり出てお前らが物事を決めるな。2012年は、千葉県の為にも黙っとけ。2012年も、結局U-13は、ノースとサウスに分かれて活動するんだと。私は止めてくれと懇願しただろう?2つに分けたら大変なんだよ現場が。何が大変なのか、想像できない人間が机上で決めたこと。トレセンスタッフを増やした責任をどうしてくれる。お前らが増やした責任を取れよ。あまりのいい加減さに、本当に残念に思う。何とかして欲しいと数名のトレセンスタッフから電話をいただく。心が痛い。本当に心が痛い。 末端から世界と戦う気位を持とう。末端から基準を世界にあてよう。ジュニアユース年代、ユース年代が目先の勝ち負けに一喜一憂していたら、この10年でサッカー界が進度を増した「時代の変化」と「基準」と「価値観」に気づかず取り残されてしまう。それは現在進行形であり、もう既に多くの集団が取り残されているのだ。「柔道」も「レスリング」も「ボクシング」も「ゴルフ」も「水泳」も、世界一を目指すところからスタートする。サッカーの世界、まだまだなのだ。何故だか、報道関係者、J関係者、今までに縁の無かった大手スポーツ用品関係者にアポを頂き、話をする機会が増えた。社交辞令はほとんどなくなり異口同音には驚くものだ。日本人なのに、オブラートが無くなってきている。それほどの危機感と、皆の基準が上がってきているということなのだろう。基準を感じることができるのか?目先の事ばかり気にして生きていくのか?それは、上に立つものの度量に他ならない。力が無いからこそ、人から多くを学び、時流に逆らわず時流に乗り遅れることの無いよう、細心の注意を払って生きていきたい。 (渡辺)