私共の加納は、元Jリーガーだ。私共と縁があって1年が経とうとしている。誰でも良いわけではない。感性がなければ、私共が最低限求めていることにすら到達できない。ベンチから勝ち方やゲームの整え方を指摘できるコーチはたくさんいる。試合を観戦していると、ベンチの大人がレフリーに向かって「ハンド」と叫ぶ。本部で他クラブの代表と話をする。「そんなにこのゲームに勝ちたいのか?何なのだろう?この違和感は?」。どうして、そのような方向性にたどり着いてしまったのだろう?「勝利至上主義」とは恐ろしいものだ。私共ベンチに座る大人の感性を鈍らせてしまう。知らず知らずに「勝か負けるか」の1点が重要となってしまい、「個」の一挙手一投足のプレーに目が向かうことはない。勝っている時は気分が良いのだが、得点されたり、点差が縮まると「その現象に対しての指摘」を叫ぶ。ベンチの大人が見なければならないのは、ワンプレーワンプレー、ピッチに立っている11人が、どのような情報を取り、何を考えてプレーしているのか?ボールを受ける前にどれだけの選択肢があり、ワンタッチワンタッチ何を考えながら、どのような遊びのある発想を持ってプレーしているのか?左右の足を苦なく駆使できているのか?味方が出すパスの方向を1つに限定しない発想を持っているのか?このような場所で、私共のような真似事をしている人間が偉そうに書くことはできないが、ほんの一部分だけ表現しても、「感性」が違い過ぎて議論になりそうもない。一緒にベンチに座っていた加納がゲームの途中に問いかけをしてきた。「渡辺さん、これ気が付かなければ、まずいですよね?」。加納の感性を嬉しく思った。「気が付いたから、加納さんは今ベンチに一緒にいるんでしょ。」と答えた。「加納さんだったらどうします?」と逆に質問をした。「私が逆の立場だったら、プライドなど持たず相手に聞きに行きます。」と答えた。「そのことができる人間だから、私は口説いたんですよ。」これが公式戦中、ベンチで行われていた2人の会話。選手のベースの能力に逃げることは簡単だ。この10か月、日々何を取り組んできたのか?相手は何故こんなになっているのか知りたいという感性と探究心を持っていなければ、自分の殻から抜け出すことはないと思う。数年前、県トレセンのスタッフとして、たまたま同じカテゴリーで縁のあった加納が私に言った。「VIVAIOの選手を見て、私がコーチをしている高校でもコーンドリブルを含め、似たようなことをしているんです。」と。何時か縁があったら良いと、感じて種を撒いておいた。公式戦のゲーム中のベンチの会話。嬉しかった。 もう7年くらい前の事、藤田さん率いるエテルノ青英とゲームをさせていただいた時、言葉では言い表せない衝撃があった。現京都パープルサンガの中村充孝を中心とした個の能力の高さに圧倒された。1人だけじゃない。個々の能力に違いがあるが、個を重視したチームに出会うことができチンチンにされた。エテルノさんの次のゲームで、私は藤田さんにお願いしてエテルノさんのベンチに座り、コーチングを聞かせていただいた。自分たちが変わらなければと感じていた頃に、良き指導者と良きお手本に出会うことができた縁に感謝している。加納には更に、このような言葉も伝えた。「中瀬古先生にこんな言葉を言われたんですよ。渡辺さんは我慢できるんか?年に何チームもビデオを撮りに来るんや。でもみんな我慢できへんのや。目先のゲームに勝ちたいんや。だから……。」相手のベンチにも、逆サイドで見ている両チームの保護者にも、審判にも本部にも分からない会話が、公式戦の最中行われている。目の前の勝ち負けなど関係ない。あずかった選手が10か月後にピッチでどのような表現ができるのか。出来なければ「日々がまだまだ」だというだけのこと。これからしばらく何年も、千葉県の皆さんにはそれを感じていただくこととなる。目先の勝ち負けなど私共が最も大切にしていることではない。そのことに気づく人間と出会えることを私は切に願っているのだ。 先日、大学の先輩に声をかけていただき食事をご一緒させていただいた。パークまでわざわざ車で迎えに来ていただけるという事だったので何度もお断りしたが、そのような手段になってしまった。当時であれば、「はい」「いいえ」「どうもすみません」の3つの言葉しかしゃべりかけてはいけないルールがあったが、40を超えても私は同じ気持ちで接している。食事をさせていただく場所につくと、ユース技術委員長が待たれていた。話の内容は、今後の千葉県のトレセン話だった。私は、私なりの考え方を伝えた。ユース技術委員長が間に入り、大学の大先輩が動き、3種技術委員長からの懇願の電話や、一緒にやってきた3種の県トレスタッフからのお誘いも本当に有難いし、心から感謝している。しかしながら、私は「現場の人間」であり、「物事を決める企画に携わっている人間」であり、「10年以上前からの現場を知っている人間」であり、そして何より分かってもらえないのが「トレセンに選手を送り出している側の人間」の「危機感」が伝わらないのだ。現場がシステム疲労を起こしていることを、誠心誠意伝えようとしているが、「自分たちの手法や考え方」が正しいと思って行動してしまっている人間には、私の真意が伝わらないことを先日の会議で感じてしまった。私を会議のテーブルに着かせるために、どれだけ多くの人間が、どれだけ多くの時間をかけて調整したことか…。人間、自信を持つことは恐ろしい。私が訴えていることの本当の意味を全く感じないのだろう。今のシステムで推し進めても、私が求めているような人材は育たないのだ。それがもう6年も続いていて、「警告」に耳を傾けることなく7年目に突入することになる。私が言っていること等全く理解不能なのだろう。言葉の真意を探ることなく、首ばかり傾けやがる。現場でたいしたチームもつくれないのに偉くなったものだ。何時までも昔の感覚でやってろ。時代が求めていることは、既に違う方向に向かっていることに気が付かないのだろう。3種の流れと時代の変化を感じない奴が、システムを構築しようとしても、そこには温度差がある。ある意味、千葉県は終わってしまった。生みの苦しみで、変わってもらえると信じて何回か千葉県の恥をさらしてきたが、本当にこの人材では無理だと感じたのでこの程度にしておこう。本当に悲しい。 この歳になると、誰も苦言を言ってくれない。だから多くの意見に耳を傾け、変化できる人間であってほしいと水曜日のスタッフ会議で話をする。「仲間」という言葉を軽々しく言われてきた。「仲間」とは、なあなあで付き合う事か?表面的な理解や、表面的なつながりは、こんなもんだったという事をスタッフ全員を前に会議で話をした。これからも多くの方と知り合い、多くの方の協力でクラブを運営していく。加納のような、年齢とキャリアに関係なく、現場の問題点を直視できる人間と出会えることを、これからも望んでいる。今私共は、船橋近隣の皆さんに喜んでいただけるような新たな環境づくりが現実となるよう動いている。上手くことが運べば、2013年春に、この場で良い報告ができるだろう。 (渡辺)